“更夜月娥”
秋の夜長というけれど、
ここ最近は 例えば銭湯からの帰りなぞ
宵のうちに昇った月に見とれることはあっても、
静かに深まる夜陰の中で
時間を忘れてまで月の昇るさまを堪能するなんてことは
滅多にしなくなったような気がする。
「……?」
何の拍子か、水中からぽかりと浮かび上がったミカンのように、
静かな夜陰の中で脈絡なく目が覚めたブッダであり。
「???」
寝つきの良さから、いったん寝付くとそのまま朝まで滅多に起きない。
誰かに言われるまでもなく、
とはいえ、夜とはそういうものだと断じていたわけでもなく。
緊張感がないとかどうとかいう以前の話として。
陽が落ちた世界の静寂もまた、
安寧と不安の綯い交ぜとなった空気を孕み、
修行には丁度いいかもしれないと、
夜露で衣を濡らしつつ、静かな森を歩んだこともあったほど。
だがだが、今現在は有給中で、
堅物な気質を連れ合いの陽気さに少しずつほぐされながら、
羽を伸ばしている最中でもあり。
風流を愛でるという目的があったらともかくも、
そうでない日は眠ったら最後、
“朝日が昇るまで、目が覚めることは滅多になかったのになぁ”
他でもない自分のことだのに、
妙だなぁと横になったまま小首を傾げてしまう釈迦牟尼様で。
秋の夜の冴えにさらされてのことか、
ぼんやりしていた意識もどんどんと澄んで来て。
自分を柔らかくくるむ ぬくぬくとしたこの空間は、
羽毛布団と供寝相手の体温とがあってこその褥なのだと、
そこまで判別出来たその途端に、
“えっとぉ…。/////////”
上になってる側の二の腕を回り、背中まで。くるりと回された腕の存在とか、
頬を伏せんばかりに近づいている 相手の懐ろの堅さと、
バラの香りの底の方、かすかに居残るワイルドオレンジの甘い匂いとか。
今宵は素直に寝ついたそのままだったため、
こちらも髪はほどけておらず。
長袖のTシャツ越しとはいえ、
イエスの温みやら触感やらが ほぼじかに伝わってくるのが、
ブッダには一つ一つくすぐったい。
ギリシャ神話に出てくる神々や、仏教彫刻の明王などのような
いかにも屈強な筋骨をしちゃあいない。
もしかして誰をも威圧せぬようにか、
薄い肩や胸板をし、面差しもさほどに険しいそれではなくて。
何か考えごとでもしているならともかく、
今はただ無心に眠っているだけだからだろう、
口許のお髭も知的にお似合いな、
彫の深い くっきりした顔立ちも、穏やかに和んでいるばかり。
「……。」
ちゃんと呼吸してるのかなぁと、ふと案じてしまい。
じっと見つめておれば、
胸板がかすかながらも上下していて。
ああでも、
うつむいてる角度のせいかな、
何かしら考え込んでるように見えなくもなくて。
ぴたりと閉じ損ねたカーテンの合わせから、
街灯かそれとも月光か、
乾いた白っぽい光が一条が差していて。
それがぎりぎりでイエスの後背へ切れ込んでおり。
夜目には少しまぶしい明るみの、
まるで鬩ぐような鮮烈さにふと気がついたその途端、
“……あ。”
胸の底に、覚えのない暗黒の溜まりが穿たれて、
背中の裾から、音もなくすうっと吸い込まれてしまいそうになる。
何でもないないと振り払えばいい、ただの気弱な感覚なはずが、
どうしてだろか、今宵の胸騒ぎはちょっぴり切なくて。
ちゃんと二人でいるのに、
自分だけが夜陰の中に放り出されているからか
冷静におなり、
イエスからも想われているなぞと彼のせいにしないで
ちゃんと自分で考えてごらんと、
そんな声が胸の内のどこかで立ち騒ぐ。
とうに踏ん切りをつけたはずなのに、
優しいイエスの大きな想いにくるまれて
それは幸せな日々を送っているはずなのに。
小さな棘なぞと振り払えず、
抗えないでいるのは 不実だという自覚があるからか?
こんな不貞を、こんな背徳を、
胸を張って選んでいいはずがないという
そんな気弱な疚しさが多少なりともあるからか?
それとも…それとも、
いつまでも永遠不変なものなんてありはしないと、
不慣れな恋情への臆病な心持ちが
またもや顔を覗かせているせいなのだろか。
そしてそれって、
受け止めてくれたイエスさえ信じずに、
結果 裏切っていることになりはしないだろうか?
愛しくて愛しくて、傍に居たいとする気持ちに変わりはないし、
大事にされていることが この上ない至福でもあるその傍らで。
相も変わらず こんなに情けない頼りなさを
払拭できないでいる自分が不甲斐ないし。
そうは言っても、
いつか引き剥がされる日が来るかも知れぬと思うとやはり、
背中を丸めながら自分を抱きしめたくなるほどに 怖くて苦しい。
想いが深くなっただけ、
もぎ取られる痛さも深いだろうにと思われて、
それが今から恐ろしくてならぬ。
アンビバレンツ? 二律背反?
昼間だったら微塵も感じやしない、
思い出しもしないだろう、一番初めに囚われた愚かな迷い。
自信もそれなり ついたはずなのに、
こんなに間近に居るイエスなのに、
どうしてだろうか、心許ない想いが消えなくて落ち着かぬ。
やっぱりいけないことだから?
我らの在りようには不自然だったり有り得ないことだから?
だったら、
自分だけじゃあなくて、彼をまで傷つけぬうち、
元の距離感まで離れていた方がいいのかな。
ああでも、そんなの耐えられるんだろうか。
他でもないこの人から、キミをこそと求められ、
ぎゅうと抱きしめられる束縛や、
他では見せまい切迫した衝動をこめた愛咬を
一身に降りそそがれる甘い優越を、
手放すなんて出来るのかなぁ…
“…え?”
不安の只中にいたせいか、すぐには気配を拾えなかった。
そのくらいになめらかに、
想いが形になったんじゃあと思ったほど、それは間がよくイエスが動き。
長い腕がぎゅうと輪を狭めてこちらを抱きすくめたのが感じられ。
ブッダとしては、え?え?と驚くばかり。
いつも安堵をくれるその腕に抱きこめられて、だが、
どうかしたのかと自分の不安もかなぐり捨てつつ、
愛しいお顔を薄暗がりを透かすように見上げれば。
“あ…。”
そこの肉づきも薄いらしい、窪んだ眼窩には瞼が下りたままで。
目が覚めたのではなさそうながら、
それでもブッダをはっとさせたのは、
怯えているという心細さではなくて、
大丈夫だよと言い聞かせるよな、しっかとした表情を浮かべている彼であり。
“これって…。/////////”
抱きすくめられたことで密着した二人の間には、
互いの思いを染ませた指輪も挟まっており。
こちらの不安が指輪を通して彼の夢へまで忍び込んだのかもしれぬと、
聡明な如来様に気付かせるには間もかからなくて。
それとも、我慢しきれぬ不安から、
助けを求める気配となって届いたのやも。
“えっとぉ…。/////////”
あまりに美しい月の光は人を惑わすというの、
イエスの生まれた地域の話だったはずなのにね。
頬を全部埋める格好になった彼の胸元は、
すぐにも肋骨の気配が判るほどなのに、
なんて頼もしいことかと思えて止まずで。
伏し目がちになってこちらを見下ろす神の子へ、
宗教なんて関係なく、切なる想いを捧げたくなった釈迦牟尼は。
祈る代わりに優しい匂いを胸いっぱいに吸い込んで、
怖い夢なぞ観ませんようにと、
再びのおやすみを胸の内にて呟いたのでありました。
〜Fine〜 15.10.19.
*なんか黒背景多いな、10月。
思い出したように不安になっちゃったらしいブッダ様。
いっそイエスを叩き起こして甘えればいいんですのにね。
そういう甘え方もできない不器用なところが、
イエス様には尚ます愛しいのかもです。
*めーるふぉーむvv
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